いま印刷業界はデジタル化によって予想を超えるスピードで製造面だけではなく、経営面までも大 きく変革いたしました。
新世紀にふさわしい企業、競争時代に勝ち残れる企業づくりのお役に立つフカ ミヤでありたいと思っています。
| ■社 名 | 株式会社 フカミヤ |
|---|---|
| ■創 立 | 1918(大正7)年7月 |
| ■所在地 | 〒060−0042 札幌市中央区大通西8丁目 |
| ■TEL/FAX | TEL:011−231−7147/FAX:011−271−4787 |
| ■事業内容 | 印刷関連機器の販売、IT戦略機器販売、カラー製版、オンデマンド出力サービス、不動産賃貸 |
| ■資 本 金 | 2千万円 |
| ■従 業 員 | 25名 |
| ■関連会社 | (株)だいちプロ、(有)ファクト、(有)フカミヤ商事 |
| ■取引銀行 | (株)北洋銀行、(株)北海道銀行、(株)北陸銀行、(株)三井住友銀行 |
| 1918(大正7年) | 深宮栄太郎(初代社長)が活字鋳造業として深宮活字鋳造所を、札幌市大通西8丁目(旧本社跡地)で開業 |
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| 活字販売のかたわら、活字規格の統一を計画、戦前4号活字を新4号(罫10枚の厚さ)を発表、以後道内鉛活字は新号数制を採用するもととなる | |
| 1926(大正15年) | 事務所、工場を増改築 |
| 1927(昭和2年) | 工場の増改築を行い、電動工作機2台、活字鋳造機7台を導入、活字の本格的量産体制をとるとともに、母型の自家製作を始める |
| 1928(昭和3年) | 創業10周年 |
| 1929(昭和4年) | 新活字規格体系を発表 |
| 新号数制活字の製造販売を開始(深宮式新活字誕生) | |
| 1930(昭和5年) | 細型書体の母型を購入して、最新式活字書体に移行する |
| 1938(昭和13年) | 創業20周年 |
| 1939(昭和14年) | (7月)深宮栄太郎が北海道活字工業組合の理事長に就任 |
| 1947(昭和22年) | 岩橋式活字自動鋳造機を導入。活字鋳造も手動から自動に移行 |
| 1948(昭和23年) | 創業30周年 |
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(7月)活字鋳造の最新型の基八光式万能鋳造機を導入 |
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| 法人組織に改め、株式会社深宮活字製造所と社名を変更。深宮栄太郎が初代社長に就任。資本金は50万円 | |
| 1950(昭和25年) | (1月)深宮栄太郎が逝去。二代目社長に深宮規代が就任 |
| 1951(昭和26年) | 林栄社の自動鋳造機を導入 |
| 1953(昭和28年) |
(11月)株式会社モトヤとベントン母型活字の北海道地区代理店契約を結び、道内で一番早くベントン活字を販売、以後、ベントン母型活字の販売とともにモトヤ新書体の普及に努める |
| 1957(昭和32年) | 八光式大型鋳造機を増設、大型活字、メタルベース等の自動鋳造も開始 |
| 1958(昭和33年) | 創業40周年 |
| 資本金を200万円に増資 | |
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(12月)社屋老朽に伴い、第一期計画として鉄筋コンクリート3階建て(325m2)を新築 |
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| 印刷機械、印刷諸材料の販売に取り組む | |
| 1959(昭和34年) | 深交会が発足 |
| 1961(昭和36年) | 機械課を新設、積極的に機械販売を進める |
| 1963(昭和38年) | 印刷機の自動化に伴い、自動給紙機の販売を開始 |
| 1964(昭和39年) | (4月)帯広に出張所を開設 |
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(6月)深宮正吉が専務取締役に就任 沼崎晋司が取締役に就任 |
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(10月)資本金を700万円に増資 |
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(12月)第二期計画の社屋を増設、鉄筋コンクリート4階建て(750m2延250坪)を完成 写真製版部門を新設 |
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| 1967(昭和42年) | (6月)カラー製版部門の独立を計画、姉妹会社・北海道第一製版株式会社を設立。深宮正吉が社長に就任 |
| 優良法人として表彰される |
| 1968(昭和43年) | 創業50周年 |
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(7月)50周年を記念して、印刷業界の振興発展のため50万円を北海道印刷工業組合に寄付 |
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| 沼崎晋司が常務取締役に就任 | |
| 1971(昭和46年) | (5月)活字の自動文選を計画、モノタイプ2台、キーパンチ4台を導入。9ポ、8ポの組版文選販売を開始 |
(6月)資本金を1,000万円に増資 |
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| 1973(昭和48年) | (8月)第1回三社合同北海道総合印刷機械展を開催 |
| 1974(昭和49年) | (7月)(56周年)社名を変更、株式会社深宮活字製造所から株式会社フカミヤに |
| 1975(昭和50年) | (1月)新春フカミヤショーを開催 |
| 1976(昭和51年) | (10月)資本金を1,500万円に増資 |
| 本社の社屋裏に2階建(木造亜鉛鋼板葺380u)の技術講習場を兼ねて倉庫を建設 | |
| 1977(昭和52年) | 帯広出張所を帯広市東3条南10丁目に移転 |
| (12月)東京以北で初めてタイプ活字の製造を開始 | |
| 1978(昭和53年) | 創業60周年 |
| 1981(昭和56年) | (7月)資本金を2,000万円に増資 |
| 沼崎晋司が専務取締役に就任 | |
| 1982(昭和57年) | ナショナル−モトヤによるWP−6000、WP−6000H、レーザー7等による文字組版を普及させる |
| 1985(昭和60年) | (6月)二代目社長の深宮規代が会長、深宮正吉が副会長に就任 |
| 三代目社長に沼崎晋司が就任 | |
| 1986(昭和61年) | (9月)発寒第4工業団地に700m2の土地を購入。ここにPS版再生、凸版、製版の2階建て工場を建設、本社より移転 |
| 1987(昭和62年) | (5月)深宮正吉が会長に就任 |
(6月)発寒第4工業団地に第二工場、2階建てを建設、活字、製版の生産部門を全面移転 |
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(11月)大通旧本社の土地の有効利用から、旧本社の北西隣接地を買収し、ここに地上4階、地下1階の本社を建設して移転 |
| 1988(昭和63年) | 創業70周年 |
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(3月)札幌市豊平区平岸に近代的な学生マンション(4階建、31人入居用)を建設 |
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(7月)70周年の記念事業として、大通り旧本社跡地に住友商事株式会社と共同のインテリジェントビル(地上8階、地下1階)の建設を計画 |
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| 1989(平成元年) | (3月)住友商事フカミヤ大通ビルが完成 |
| 1991(平成3年) | (11月)取締役会長の深宮正吉が、製版業界での長年の功績に対して勲五等瑞宝章の受章の栄に浴す |
| 1993(平成5年) | (5月)沼崎晋司が北海道写真製版工業組合副理事長に就任 |
(7月)沼崎晋司が全日本印刷機材ディーラー協議会の理事、同協議会北海道支部長に就任 |
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| 1994(平成6年) | (5月)沼崎晋司が北海道写真製版工業組合理事長に就任 日本写真製版工業組合連合会副会長、北海道印刷関連協議会副会長に就任 |
| (8月)沼崎晋司が北海道第一製版(株)の代表取締役に就任 | |
| 1995(平成7年) | (7月)帯広出張所の建物が手狭になり、かつ老朽化が目立ってきたため、同市西4条南1丁目に土地(535m2)を購入、新社屋を落成 |
| 1996(平成8年) | (6月)沼崎晃輝が取締役、管理部長に就任 |
| 1997(平成9年) | (6月)沼崎晃輝が常務取締役に就任 |
| (8月20日)二代目社長の深宮規代が逝去 | |
| 1998(平成10年) | 創業80周年 |
| 1998(平成10年) | 創業80周年 |
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| 2001(平成13年) | (6月)沼崎晃輝が専務取締役に就任 |
| 2002(平成14年) | (8月)札幌市豊平区平岸に2棟目となるマンション(4階建、7戸)を建設 |
| 2003(平成15年) | (10月)製造部門の合理化とデジタル化に伴う新設備の導入とともに、製造設備の集中化による生産効率のアップを計ることから北海道第一製版株式会社と製造部門を統合 |
| 2004(平成16年) | (4月)株式会社サン写真製版と工場合併を計り、3社の製造部門を統合 |
(6月)沼崎展慶が常務取締役に就任 |
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| 2005(平成17年) | (2月)姉妹会社 北海道第一製版株式会社を株式会社だいちプロと商号変更し、製造部門の新たなスタートを切る |
(10月)札幌市中央区南8条西6丁目 北海道印刷会館の土地・建物を購入し、名称をエイト会館と変更し、これまでの北海道印刷工業組合など4団体に継続して賃貸する |
| 2008(平成20年) | 創業90周年 |
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プロセス製版から間口を広め、各種凸版(亜鉛版、樹脂版、フレキソ版)、小ロット、デジタル印刷から大型インクジェット、ラミネート加工、点字印刷と幅広く対応しています。
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